はるの日々

はるです。節目を迎えつつある身体のこと、日々の暮らしのこと、猫のことなどをのんびり前向きに書いていこうと思います。

作り置き、その後

なんとか続いてます。作り置き。

というか、買い物と、台所に立つことが続いていると言った方が良いのかもしれません。 

やってみて、やはり週末に一週間分すべてをまとめて作るのは、作業する時間的にも、作ったものの日持ち的にも厳しいなと思い、主菜を一~二品、副菜を三品程度で続けています。

例えば先週は、ハンバーグとチンジャオロースが主菜、副菜として、小松菜のお浸し、カボチャと鳥挽き肉の煮物、ひじきの白和えを作りました。

この他に、根菜類を刻んで冷凍(使いたいときに、包丁要らずで筑前煮やけんちん汁が出来る)、豚肉は2~3%の塩を振ってチルドで保存(日持ちするし、味も締まる)など、簡単な下拵えもするようになりました。

この程度のこと、もうやってるよという方も多いでしょうね。

私の場合、料理はずっと人任せでしたから、本当に初歩の初歩、ようやく入口に立ったばかり。

今までは、たまに料理しよう!と思っても、買い物が面倒だったり、買ってきたものをうまく使えず無駄にしてしまったり。

せっかく生協で直販の野菜を頼んでいるのに、活かしきれていませんでした。

今は、日々の食事の支度が楽というよりは、一週間サイクルで食べることを考え、どの程度の量の肉や野菜が必要か、計画性を持てるようになったことが、メリットだと思っています。

夫から、今日何食べたい?と聞かれることは減りましたが、代わりに、今日どれ使えばいいの(相変わらず夫も台所に立つので)、どんな風に調理する?と聞かれることが増え、「聞かれるのが苦痛」という当初の課題から抜け出すのは、まだまだ先の感じです(笑)。

これからも試行錯誤しながら、ぼちぼちやっていこうと思います。

トゥモーランドでスーツを新調

朝晩めっきり寒くなり、秋本番ですね。
暑くて、何を着ても汗まみれになるから、極力簡単な服を着ていた夏と違い、秋はお洒落のし甲斐がある。しかも、私の大好きな毛物の季節!

本当は、ウールやアルパカやその他もふもふのセーターやらスヌードやらを買いたいところだけれど、そこそこ持ってる…。
しかも、仕事の関係で、通年着られるスーツを買わなくてはならない(今も黒のスーツを持っているのですが、スカートを履くと腰回りに変な皺が寄り、ジャケットのボタンを留めると息が吸えない←服が小さい!)。

ということで、もふもふを横目で見つつ、とっても久し振りにトゥモローランドへ行きました。大手町の旗艦店です。

ユニフォームみたいなものだから、と半ば嫌々行ったのですが、流石です。
レディースでもメンズと同じように定番スーツが並び、イタリア製の生地、実際に外せるボタンホールなど、細かなところが行き届いてる。
しかも、そこそこのお値段。素晴らしい!

パッと見、黒に見える深い紺のスカートスーツを選びました。サイズも、ジャケットが38、スカートは36で大丈夫だったので、極端に太った訳ではないのだとほっとしつつ、袖が長かったので、詰めてもらうことに。出来上がりは一週間後です。

背中やお尻回りに肉が付き、顔周りの輪郭もぼやける。今まで着ていた服がしっくり来なくなる。
この悩み、前にも書きましたが、この年代共通の悩みなのでしょうね。体型が崩れてくると、お店に足を運ぶのも億劫になりますが、気を奮い立たせて行ってみると、それなりにテンション上がりますし、今までとは違う似合い方の服を探してみようという気にもなります。服に袖を通すって大事ですね。

ぼちぼち続けている筋トレも頑張って、もっと服を楽しめるようになりたいです。
この秋はお洒落を楽しむぞー。

初の週末作り置き

料理下手、というか、「今日なに食べる?」と日々考える苦痛から解放されたくて、後れ馳せながら作り置きに挑戦してみました。

これまでも、野菜の下拵えをまとめてやるとか、肉に下味をつけて冷凍するとか、なんとなくやってはいたのですが、野菜は却って傷みやすいとか、冷凍庫に仕舞い込むと忘れてしまうとか、その後の日々の食卓にうまくつながらず…。

今回は、アプリの力を借りて、まずは苦手な買い物を克服。今までは、一週間分の量の見当がつかなかったので、献立とともにお買い物リストまで作成してくれるのは有り難かったです。

献立も、ちょっとハードルが高いと感じたものは、自分の好きなものに置き換えるなどして、とりあえず、土曜日から金曜日までの一週間分を組み立てました(いや、組み立てたのはアプリさんですが)。

実際に作ってみると…。
主菜のハンバーグ、肉じゃが、笹身焼き(笹身はパサつきやすいので、下味だけつけて、今夜食べるときに焼きます)の3品。
副菜は、ゴボウのきんぴら、金時豆と玉ねぎのマリネ、塩ひじき、オクラ(茹でただけ)、ピーマン(切っただけ)の3.5品。
これで、2時間ほどかかりました。

いやあ、結構くたびれますね。
立ちっぱなしだし、量は多いし。今までは、1食分のおかずを同時平行とか、お弁当のための幾品かを同時にとか、その程度でしたので、段取りを考えるだけで台所がとっちらかる感じです。しかも、この数では一週間持たないのでは?

良いです。我が家の夕飯は、キムチと納豆さえあればなんとかなるレベルですので、その合間にハンバーグや肉じゃがが入れば、きっと素敵になるはず。

一週間のおかずをすべて一度に作るのは、日持ちの面でも流石に厳しいかなと思うので、下味だけつけて冷蔵するものや、塩を振って漬け込み、食べる直前に一手間かけるものなども組合せ、ぼちぼちやろうと思います。
今日以降、作ったものを食べる過程で見えてくるものもあるでしょうし。

毎週届く生協の野菜を無駄にしないためにも、少し先を見据えて、段取り料理を日課(週末だけだから週課?)にしようと思います。
どこまで続くかな。

食欲の秋。料理下手を克服したい!

家事のなかでは、料理が一番苦手です。
掃除や洗濯は、元の状態にいかに効率よく戻すかが問われるけど、料理は毎回違うものを作らないといけない。それが苦痛なのです。

幸い、夫が料理できるので、夕飯は夫が作ってくれたり、二人だから外食したりで済むけれど、なんとか克服したいな。

料理本はそこそこ持ってます。買って、読んで、満足。ダメですね。

たまに台所に立つことはあるけれど、こんなに料理を億劫に感じるのは何故か。考えてみると、毎日のことだからだと思い至りました。
掃除や洗濯は週に数回で済むけど、料理は毎日。しかも違うものを作らないといけない。
思えば、子供のころから、今日なに食べたい?って聞かれるのが憂鬱だったなぁ。

献立を考えるのが苦手。何を買ったら良いか分からないから買い物も苦手。この二つを乗り越えられるよう、献立作成アプリをダウンロードしてみました。
最長で一週間単位の献立を作ってくれて、買い物リストまで出てくる。便利な世の中です。
一度に全部は無理だけど、出来そうなところからやってみます。
平日は仕事でぐったりなので、まずは土曜日から。
一週間分を見越した買い出しも大事ですね。
ちょっと楽しみになってきました。

山中塗

夏休みを利用して、金沢へ行きました。まさかの日帰りです。

金沢や松本、盛岡など、自然豊かな城下町で、手仕事の匂いのするまちが好きです。金沢は、行きたいと思いつつ、遠くて諦めていました。

それが新幹線で片道二時間半。京都までと同じくらい。十分日帰り圏内です。

自宅をリノベした後、温泉旅館に泊まって美味しいものを食べるという図に魅力を感じなくなり、愛猫もいるので、ますます腰が重くなっていたのですが、日帰りなら話は別です。

美術館やお城なども見つつ、山中塗の汁椀を買いたくて、ガイドブック片手に訪れました。

城下町で県庁所在地のまちは、何故どこもあんなに素敵なのでしょう。旅行ではなく、住んでみたい。
魅力に溢れています。
思いの外観光客が多いことに加え、最近の東京ではすっかりご無沙汰してしまった夏の日差しに翻弄されながらも、山中塗の製造・直販所を訪れると、嫌でもテンションが上がります。

最初は、拭き漆の器を買おうと思っていましたが、いろいろ眺めているうちに、朱の漆に黒を重ねたものに心変わりしました。糸底だけは赤くて、でも黒い漆の所々で朱が透けていて。使ううちに、少しだけ朱の透け具合が増すそうです。

合わせて、間伐材の杉に漆を塗った利休箸も買いました。どちらも、見た目や持った感じが素晴らしいのに加えて、お値段もリーズナブル。毎日のお味噌汁や麺ものに使えそうです。使い込んで表情が変わるのが楽しみです。この夏のよい思い出になりました。

眼鏡を変えたら

金子眼鏡店の眼鏡。丸い金縁っぽいフレームで、今までの赤くてスクエア型のとはかなり印象が変わった。一番思うのは肌の色。

私は割とすぐに顔が赤くなる。これが、小さいけれど悩みで、暑くても寒くても、お酒を飲んでもすぐに真っ赤。そこに赤いフレームの眼鏡をかけているから、更に赤さが強調される気がして…。

新しいフレームも、結果的には少し赤が混じっているけれど、全体の印象は金。レンズもうっすら茶色くなっている。おお、肌の色見も違って見える。赤みが強調されにくい!
だけど、なんだか顔色が悪いようにも見える。眼鏡選びって、む、難しい。

なので、少しだけ口紅を塗ってみた。指についた分をぽんぽんと頬にも乗せる。あ、良いかも。
眼鏡にあわせて、髪型も変えたくなってきたな。
単純だけど、こういう気持ちって大きいのかも。
視界もくっきりしたし、眼鏡を変えて良かったです。

学校の先生

ニュースで見聞きするだけだけど、学校の先生って、いろんな意味で大変だと思う。けれど、子どもへの影響の大きさは忘れないでほしい。

小学校の卒業間際、最後の通知表が担任から一人一人に配られた。当時30歳代くらいの男性担任は、温厚で面白く、なかなかの人気者。
その担任が、いつもはみんなを名字で呼ぶのに、その時はニックネームで呼びながら通知表を渡し始めた。
わっと盛り上がる教室。みんなのニックネームと共に今までの思い出も甦り、先生さすがーと思いながら自分の番を待つ。
もう少し、もう少しで○ちゃんて呼ばれる筈。

ところが、残り数人になっても私は呼ばれず、不審に思っていると、その担任が
「ごめんな。残りの人はどうしてもニックネームが分からなくって」と驚きの言葉を口にした。

あの時の衝撃は今でも忘れない。

私は6年生の7月にそのクラスにやってきた転校生で、一緒にいた時間は一年に満たなかったし、当時は一クラスに47人くらい子どもがいたけれど。
でも、普段から友達は○ちゃんと呼んでくれていたのに、ちょっと聞いてくれればすぐに分かったのに。

私も含めて5人くらいがニックネームを呼んでもらえませんでした。その時は、自分も周りの友達も、えー!○ちゃんて呼び名があるのにーと明るく抗議して終わったけれど、自分は地味で覚えて貰えない存在なんだと、後々まで思っていました。
ニックネームが分からない子がいるなら、そんなことしなきゃいいのに。
先生は大変です。